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高校時代の友人と軽井沢で数日過ごした。 追分付近から間近に見える雪化粧した浅間山が美しい。
1972年2月、連合赤軍の残党5人が管理人の妻を人質に立てこもった「浅間山荘」を一目見ようと、南軽の別荘地内を探索した。1日目はたどり着けず、翌日出直して迷路のような道を走りまわる。冬の別荘地に人の気配はなく、放置されかけた建物が山上の林の中にも点在していた。気温マイナス5℃、雪でスリップしはじめた車を坂道に乗り捨て、徒歩でグーグルマップが示す地点まで登りつめるとそれはそこに在った。もちろん無人だ。玄関は施錠されていた。
坂を少し下り、裏手にまわる。 9日間に及ぶ犯人との攻防の末、警察と機動隊はクレーン車に吊り下げた鉄球で壁を破壊し突入した。その一部始終を生中継するテレビに誰もが釘付けになった。人質は無事救出され犯人全員が捕まったものの、民間人1名死亡、警官2名が殉職27名が負傷した壮絶な昭和史の事件現場である。 建物はその後外国人の手に渡り外観は改築されたが躯体は当時のままだ。 高校2年だったあの日から来月で50年になる。
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