糸魚川フォッサマグナと親不知ーブラタモリをたどる
《日時》 2025年5月 20 日(火)《天 気》晴れ時々曇り 《参加人数17人》
《コース&タイム》
集合7:45→フォッサマグナ駐車場9:45→フォッサマグナパーク見学9:50~11:30→(車で移動)→渡辺酒造店見学11:40~11:55→(車で移動)→フォッサマグナミュージアム(公園内での昼食時間も含む)12:10~14:10→親不知コミュニティーロード駐車場14:35→ウエストン像14:50→親不知トンネル15:10→親不知海岸15:25~15:35→親不知コミュニティーロード駐車場15:50→集合場所17:50
《概要》ブラタモリ「フォッサマグナ~日本はどうできた」のコースをたどってきました。
「フォッサマグナ」は中学生の地理で習ってはいるのですが、今となっては何のことなのか覚えていない人が多いのでは?
まず、今回の例会で学んだことをおさらいしてみると、フォッサマグナと名付けたのはナウマン象の命名でも知られるドイツの地質学者ナウマン博士。フォッサマグナは大きな溝という意味だそうです。日本列島はかつてアジア大陸の一部だったが地震により切り離されて、さらに裂けてそこが海峡になりました。その裂け目(海峡)がフォッサマグナで、さらなる地震などによりかつての海底にたまった新しい地層により埋め立てられて行きました。なので、古い地層と新しい地層(といっても1600万年前)が隣り合っているのです。なんだかすごい壮大ですよね。これらが隆起した後、焼山や富士山を含む南北方向の火山列島ができました。フォッサマグナの西の境界断層は、糸魚川―静岡構造線と呼ばれており、見学できる所はいくつかりますが、今回の例会のフォッサマグナパークで最も気軽に見学できるとのことでした。と、随分長い前置きになりましたが、例会では、フォッサマグナパーク、フォッサマグナミュージアムを回り、実際の断層や、糸魚川産の翡翠をはじめ多くの鉱物や日本列島成り立ちのについての展示を見ながら、フォッサマグナについて学ぶことができました。日本列島はどうできた?という事を知れたことも良かったのですが、登山をする一人として、富士山など名だたる山々の誕生とフォッサマグナと深い関係があるというのは驚きでした。
次に交通の難所・天下の険、親不知を訪れ、四世代にわたる道を見ながら、親不知レンガトンネルを通って、海岸まで降りて周回してきました。親不知も名前は知っていますが、実際に海岸まで降りるのは初めてで、独特の海岸風景や波の音を体感することができました。

フォッサマグナパークに到着。ガイドさんとご対面。ガイドさんの説明を聞きながら、新緑の道を進みます。解説板はありますが、ガイドさんがいることで、より深く知ることができます。

「崖は地球の窓」よく見れば、色々な地球の情報があるらしい

経路の途中には、西と東の違いを印象付けるクイズがありました。フォッサマグナは地層的だけではなく文化的にも東西の違いを生み出していました。

今日の例会の核心の一つ、断層の境界を見れる地点へ


断層の境界、色が違う

どうやって作ったのかはわかりませんが、断層の境界を薄く切り取った展示。左が3~4億年前、右は1600万年前。4億年なんて想像もつかない時間。その地層に触れ、悠久の時を感じてるはずの参加者(多分だけど)

巨大枕状溶岩。上から見ると、大きな輪のように見えるのかな?

ガイドさんご自身所有の標本を出して、触らせてくれる。翡翠は、見た目より重くズンとくる。キツネ石は翡翠のようで間違えるから、そう呼ばれているそうだ。参加者興味津々で、触ってみる。

枕状溶岩の崖

これから、渡辺酒造に車で移動。お酒大好きな皆さんのお土産を買いに行くのかと思っていたら違ってました。

穏やかな用水ですが、ここで地層が東と西に分かれているとは、摩訶不思議。しかも1600万年と2億7000万年前だってさ。水質が軟水と硬水で違うというのも不思議というか、当然というか。この日は定休日で店内には入れませんでしたが、営業時は西と東の井戸の水を飲み比べできるそうです。

断層の境界に建つ渡辺酒造さん。定休日でしたが、ガラス越しに覗いてみるとタモリさんの絵が見える。ガイドさんとはここでお別れして、車でフォッサマグナパークへ

綺麗で立派な建物でした。広く整備された公園の中にあり、そこで昼食タイム。

翡翠は、緑、紫、白といろいろな色があると知りました。石の特性、日本列島の成り立ちの映像など内容の濃い展示でした

ここに名を連ねる憧れの山々の成り立ちが、西と東の断層の押し合いで生まれたというのは驚きでした。

車で親不知へ移動。親不知とは親子が互いを顧みる暇もなく断崖波打ち際を通り抜けなくてはならなかったというのが由来らしいですが、かつての通行の難所でした。
名前は知っていましたが、初めて来る人がほとんどだったのでは。

タモリさんがここで見たのは・・・

交通の難所に切り開かれた、道。私たちが見ているところは第2世代。崖のふちを通る第3世代の国道8号線と、海の上を走る第4世代高速道路。いつも利用しているのに、ここまで来るのに大変な苦労があったとは全く知りませんでした。

上からのぞいて、みんな「ひゃ~っつ!!!」となる。この波打ち際が通行路だったなんて。

上高地では有名なウエストン卿の像。ウエストン卿は「親不知が日本アルプスの起点である」として訪れていたそうです。フォッサマグナ上の山々の誕生の起源を知ればそのことばは納得です。

急な階段を下りて、親不知トンネルへ。

中は、ところどころに照明がありますが暗くてヘッドランプを付けて通過。中はレンガ作りで、触ると手が黒くなりました。蒸気機関車が通っていたからでしょうか。

トンネルを抜けさらに下って、親不知の海岸へ。砂浜はなく、丸い石がゴロゴロしている海岸でした。昔の人はかなり歩きづらかったと思います。波が押し寄せ、引くたびに、石たちが転がって「コロコロコロ・・・」と乾いた音が響きます。こうやって石と石がぶつかり合って丸くなっていくのでしょう。

海岸へ降りた参加者さんたちは、みんな熱心に石を見ています。
多分、みんな翡翠を探していたのでは?本物見つかったでしょうか?

帰りはトンネル横の道を登っていくと、駐車場に出てきました。
フォッサマグナ、親不知について今日一日でたくさんの事を知ることをできました。
自分たちが憧れ目指す山々誕生のストーリーに触れることができたのも、良い体験となりました。
平日にもかかわらず、興味を持っていただいて多くの方に参加いただきありがとうございました。良い一日でした。