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2025/05/25

平泉寺白山神社 白山禅定道例会

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平泉寺白山神社 白山禅定道例会
日時:5月23日(金) 参加人数:10名 天候:晴れ



コースタイム
集合場所 6:00 - 越前大仏駐車場 7:30 - 菩提林参道入り口 8:00 - 一の鳥居 8:45 - 三の宮白山禅定道起点 9:10 - 剣の宮 9:40 - 三頭山 10:40 -
昼食 11:20 - 剣の宮 12:06 -  三の宮 12:33 - 一の鳥居13:00(行列に並ぶ)- 二の鳥居 13:23 - 拝殿 13:32 - 本殿御開帳本尊参拝 13:45 - 
一の鳥居 14:15 -
 越前大仏駐車場 15:25 -  集合場所 16:45




データ





 当初の予定では、平泉寺白山神社の33年に一度の御開帳に立ち会って、それから林道を車で進んで法恩寺山8号目の登山口から法恩寺山に登る予定でしたが、法恩寺山林道が積雪のため6月にならないと通行できないとのことで、急遽白山禅定道を三頭山まで進んでみるというコースに変更しました。
平泉寺白山神社の三の宮は白山禅定道(旧越前禅定道)の起点になっており、そこから法恩寺山、小原峠、三ツ谷、市ノ瀬、六万山、指尾山を経て現在の観光新道を経由して白山の山頂まで続いています。
平泉寺白山神社は今から1300年前に越の大徳、泰澄大師が創始されたと言われている本来神仏合祀の神社であり寺院で、白山登拝の拠点、馬場(ばんば)の一つであります。

 今年は平泉寺白山神社の33年に一度の御開帳(おかいちょう)の年にあたっており、5月23日から25日のわずかに三日間のみ本殿三所権現と三の宮の扉が開放されます。
当初からそれを拝観するのを目的にこの例会を企画しました。
当日は白山神社周辺の駐車場は一般車は駐車不可でジオアリーナや越前大仏の駐車場に車を置いてシャトルバスで現地に向かうか、越前鉄道などの交通機関からシャトルバスでのピストン輸送という感じになっていました。
ただ、バスに乗ってしまうと日本の道百選に選ばれている菩提林(ぼだいばやし)の参道を歩くことができないので、我々は越前大仏Pに車を置いてそこから歩きました。

 案内によれば御開帳は9:30からとのことで、9:00には二の鳥居のところまで辿り着いていましたが、現地の説明によると9時半の御開帳は関係者のみの神事で一般参列者は11時頃にならないと本殿にはお参りできないとか、、、、。
話しが違う???w
鳥居の前で2時間待つか??
それはありえんやろ??
ならば、御開帳参列開始までの間先に山に登ってしまえ!
ということで、白山禅定道を三頭山まで登って来ました。
三の宮の標高が340mで三頭山の標高が777m距離が1.5kmです。
ということは??
1.5kmの間に430mあまり登るという計算になりますね。
計算通りの急登でございました。
それでも、脱落するメンバーは皆無で全員元気に三頭山まで登って先に昼食を済ませました。

 まあ、お昼時なので最初の大行列もおさまって少しは空いているんじゃないか??
そんな淡い期待を抱いて降りて来ましたが、本殿、拝殿、二の鳥居、一の鳥居まで大行列!!w
参道はぎっしりと人で埋め尽くされていました。
上野動物園のパンダか?東京デズニーランドか??大阪万博か???
くらいの大行列でございました。

 それでも、並び初めから本殿参拝までは45分、TDL並の待ち時間といった感じでしたかね?
ご開帳された女神像は室町時代の作らしく、川上御前の像だという話しでした。
扁額には「白山妙理大権現」と掲げられているのでてっきり妙理権現様の像なのかと思っていましたが、少し調べてわかったことは、平泉寺白山神社は一向宗により全山焼き討ちにあい全てが消失してしまいました。
その大火の中お坊さん達が川上御前の像を連れ出しお守りして現在の場所に移されたのだとか、、、、。
現在では、この川上御前は白山の女神様と呼ばれているようです。

 なんとか無事に三所権現の御開帳に立ち会いお参りして、精進坂の下まで戻った時には午後2時を回っていたので参拝にかかった時間は2時間強くらいでしたか?
3時間かかったというTVインタビューも見ましたので、それでも割と早かったのかもしれません。
次回の御開帳は33年後(西暦2058年)なので今回の参加メンバーの8割方はこの世にいないと思われます^^:
無事に御開帳に立ち会えて良かったです。

 帰りはシャトルバスに乗る予定でしたが、お約束通りバスターミナルにも長蛇の列!
誰一人反対を唱える者はなく帰りも歩きになりました。
それでも、山登りを含めて全行程で歩行距離は10km程度に収まりました。
では、写真を並べながら解説してゆきたいと思います。





平泉寺白山神社の参道の入り口です。
史跡 白山平泉寺旧境内 と刻まれています。
その昔は、平泉寺白山神社ではなく、白山平泉寺だったということですね。



普段は車やバスタクシーが行き交う参道ですが、この三日間は歩行者専用です。



日本の道100選 中宮平泉寺参道 と記されています。
こちらにも白山神社の名前はありません。



菩提林(ぼだいばやし)の参道を進みます。
車が来ないって、幸せだわ^^;w




旧参道
この石畳が日本の道100選に昭和61年に認定されました。





菩提林に700メートル続く石畳の参道は、千年前から現存する道路です。
石畳に使われている石の裏には法華経の文字が書かれており、僧達が経文を唱えながら女神川(おながみがわ)から手渡しで運んで石畳を作ったと言われています。



牛岩・馬岩 

その昔、昼でも暗い菩提林の中を参拝者が進むと、大きな牛と馬が道いっぱいに横たわっていて遮っていました。
たいていの人は逃げ帰りますが、ある男が毎晩牛と馬を飛び越えてお参りを続けました。
夜が明けると牛と馬の姿はなく、道の両側に二つの大岩になっていたという言われのある岩です。



弁天そば会



キッチンカー




朝の参道の様子




精進坂
この坂から上は魚の持ち込みは禁止されています。
ファミマで鱒寿司おにぎりを買って来たのは内緒です^^;w




顕海寺



顕海僧正は平泉寺が一向一揆衆に全山焼き討ちに合うのをいち早く悟り、弟子二人(専海、日海)を伴って一旦九頭龍川上流の越前美濃国境付近の桔梗原(ききょうがはら)に落ちのびました。
その10年後にこの地に戻って平泉寺を再興します。
その顕海が住んでいたのがこの寺院だそうです。




一の鳥居



参道の様子


泰澄が白山の女神に会ったとされる御手洗池。
池の中にある小さな岩のところに女神様が現れたのだとか。





二の鳥居が見えて来ました。





御開帳は9時半からということで、9時にはここに来ましたが、一般公開は11時ごろになると言われました。
さすがに2時間は待てない、、、、。





三の宮に向かいます。





三の宮は安産の神様。
御開帳されていました。
撮影は禁止です。





三の宮の横には白山禅定道平泉寺登拝口があります。





11時まで待っているのもアレなんで、白山禅定道を先に歩いてみることにしました。





これが急登の連続で、歩きごたえは十二分にありました。





三頭山(みつがしらやま)777m




ここで昼食にしました。




食事を終えて山から降りて来て、再び行列に並びます。
お昼時なので少しは空いて来てるかと思いきや、逆に列が伸びてる!w





列に並ぶこと35分、拝殿が近づいて来ました。





拝殿の内部が見えました。





こちらが本殿。
女神様が祀られているところでございます。
撮影は禁止になっておりました。



 

越南知社

おおなむちしゃ





別山社

べっさんしゃ




参拝を終えて降りて来たら一の鳥居、精進坂、そのまた下まで行列が続いておりました。
参拝には3時間かかったというお話です。
我々の2時間はまだ早い方だったかもしれません。


23:50 | 投票する | 投票数(1) | コメント(0) | 福井県の山(春)