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2019/12/09

例会報告 能美古墳群

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能美古墳群(手取川扇状地)&河田古墳群(梓川流域)
日時:2019/12/08(日) 晴れ
参加者:18名
コースタイム:

  集合P800→茶臼山古墳群820840→秋常山古墳群P854→西山古墳群913925→和田山古墳群947→歴史民俗資料館10401100
  →寺井山古墳群1118→秋常山古墳群11461230(昼食)→河田山古墳群史跡資料館13041425→集合場所P1444

 
 今回の例会は古墳群探索です。金沢近郊の能美古墳群は5か所の独立丘陵の尾根上(寺井山、和田山、末寺山、秋常山、西山の古墳群)に作られた古墳群で
62基の古墳が見つかっているとのこと。丘陵の古墳は開発でなくなった箇所も多くありますが、このような歴史的遺産があること承知していませんでしたので
大変有意義で興味深い例会となりました。

さて、古墳時代とは飛鳥時代と弥生時代の間の西暦250年~600年頃(約350年間)を指し、能美古墳は当地方面を支配した部落長等支配者の墓です。
1.能美古墳群、位置関係


2. 距離:10.2km 時間:4時間 登り:113m 降り:135m


3.下開発茶臼山古墳(辰口丘陵公園近くにあります)


4.茶臼山古墳(古墳時代の中期から後期の古墳)。姿がよく分かります


5.頂部に秋常山二号墳(方墳)が見える



6.西山八号墳(弥生時代の円墳、横穴式石室が発見されている)


7.円墳周りの掘り込みがよくわかる。再現?


8.上部地層と下部地層の色が違う(円墳部分が盛り土になっているためか?)


9.和田山6号古墳(径25m高さ6mの円墳)


9-2南加賀独特の切石積み横穴式石室発掘中(ビニールシートに覆われている場所)


10.古墳の場所に和田山城が築かれていた。本城は一向一揆で活躍した和田坊主が築城。その後柴田勝家の家臣が整備し、一向一揆の虚空蔵城や鳥越城の攻撃基地として使われた



11.空堀の痕跡


12.9号墳の上に櫓が建てられ見張り台になっていたとのこと。手取扇状地が望める

13.歴史民俗資料館(2020年に新しい博物館が完成するとのこと)


14.学芸員の説明に聞き入る会員


15.寺井山古墳(住宅街の中にあります。丘陵地が削られ一部しか残っていない古墳群)


16.秋常山一号墳(古墳時代の中期初期の前方後円墳で県内最大規模とのこと)


17.墳丘周囲は手取川の葺石(ふきいし)で覆われた作りになっていたとのこと。


18.秋常山一号墳から二号墳を望む


19.秋常山二号墳(方墳)墳丘の周りに埴輪が並べられていた


20.二号墳内部の埋葬施設が見学できるようになっていた。


21.河田山(こうだやま)古墳群歴史史跡資料館


22.河田山12号墳の切り石済み横穴式石室(移設再現)展示


23.河田山12号墳(内部見学)(古墳時代前期から後期、小松梓川を望む6つの尾根)


24.河田古墳から白山方面を望む


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