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2010/05/10

鯖街道の歩きと百里ヶ岳(931m)登山

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例会ハイキング  日本海と京を結んだ歴史と暮らしの道         
 
     鯖街道の歩きと百里ヶ岳(931m)登山     5月9日(日)
 
参加者     9名
コースタイム
 集合場所5:00→ 敦賀インターから小浜を経て上根来(ねごり)のスタート地点 へ8:00 → 根来峠 9:22 → 百里ヶ岳 10:30~10:40→ 根来峠 11:25~12:06   (昼食) → 焼尾地蔵12:42→ 小入谷バス停 13:15、ここでタクシーに乗り桑   原へ  ======  桑原13:45  → 茶屋跡15:00  → 桑原16:00 → 金沢 19:55
感想と記録
 
 「京は遠ても18里」と言われるように、小浜から京の都へは70キロあまり、本当に昔の人はよく歩いたと思う。今回の私達の例会は20.5キロの歩きだったので3分の1弱を体験できたということでしょうか。若狭の海産物を輸送する道としていくつかルートがあった。この「鯖街道」は同時に大陸から伝来した文化が奈良や京都へと伝えられた道であったとも。
 今回は小浜を経て上根来(ねごり)からのスタート、根来峠から小入谷への歩きが前段、ここに百里ヶ岳登山も入れた。後段は桑原からの歩き、ガイド本を見ると、桑原、小川、針畑、久多から鞍馬へ抜ける道は鯖街道の元祖とも言われている、とある。地図ではこれらの集落に沿って道がつながっているが昔はそうした道はなくて山越えだったのだと推察される。  桑原からの登りは、標識も不備で道もあまり歩いた様子もない。そのため歩き始めてまもなく道に迷う。これが本当に鯖街道なのか、迷いながらの登りとなったが、やがて登り斜面の横にやや奥まって広い平地が現われた。茶屋跡である。鯖街道として、多くの人が往来した証だとも言われているとか。そのすぐ上は峠で京都との境をなしている。ここから久多への道は、今は道があったことさえ人々の記憶から消えようとしている、と本にはある。だからこの道がこんな寂しいのだと理解する。でも昔の街道に触れ歩けたのはよかった。
 上根来のスタートからは奥深い道歩きと思ったら、新しく出来た林道がほぼ並行して続いている。そして時々ツーリングのバイクの音が聞こえる。そして何回かその林道と合流したり林道歩きとなったりする。それでも静かで景色も美しい。鳥の鳴き声も抜群だし、何と言っても新緑がまぶしい。このルートはブナの木が多くその透き通るような青葉が気持ちよい。 根来峠への堀割状の道は古道の面影を残す。峠から百里ヶ岳を往復する。誰にも会わない独り占めの山歩きとなる。1等三角点の頂上は静かである。ゆったりとした山歩きとなった。峠で食事、ここも私達のメンバーの独擅場である。1人の登山者に出会った。その後、小入谷に向かう下りの道は林道の所々に見落としそうな標識がありそこから脇道に入ったりして歩く。小入谷は急に広々とした所に着いたという感じで、昔ここにたくさんの住みかがあったような面影がある。タクシーが迎えに来ていた。ここから桑原まで乗車、途中、山帰来に寄る。
 そして桑原へ、登り切って峠に着くと、左右に道があり三国山、経ヶ岳の標識があった。小1時間もかからず行けそうだが、特に経ヶ岳の山頂は展望もないとのことで、この峠までで十分の歩きが楽しめたと思う。わざわざこんな遠くまで来てたいした山でもない所を歩かなくても、と思わないでもない。しかし、各地にある街道、それを一度は歩いてみるのも無駄ではない。歴史に触れることは、日本のよさの発見であり、自分の見直しでもあると言える。東小浜駅口からタクシーは左折して上根来まで来たが、考えてみると先人はここをずっと歩いていることになる。70キロあまりを1昼夜で重い荷物を担いで、しかも山道を歩くなんて、超人的ではないか、このことだけでも胸が躍る。その思いにふれただけでも充実したハイキングになったと言える。

上根来の登山口
  


林道から別れて

堀割状の街道

百里ヶ岳頂上     
小入谷をめざして 


小入谷


茶屋跡

峠にて 


桑原



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