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例会山行報告 >> 記事詳細

2013/02/03

例会山行報告 金沢街坂散策

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例会山行報告 金沢街坂散策

日時 2月3日(日)曇りのち晴れ  ランク「ゆっくり」
9:30集合 11:30街歩き終了後昼食 13:00解散

参加者 7名


9:40
出発 ~ 旧北國街道・旧鶴来街道一部通る ~ 瓶割り坂、蛤坂 ~ 甚兵坂 ~ 石伐坂(いしきり) ~ 桜坂 ~ 不老坂 ~ 新長良坂 ~ 長良坂11:30

金沢の冬にしては珍しく天候に恵まれた日曜日、金沢街坂散策例会を行いました。
今回は寺町台地と犀川間の坂を登ったり下ったりしながら歴史情緒溢れる金沢の街を歩きました。
参加者全員が、路面電車が走っていた頃の金沢の事を記憶している、古き金沢の生き証人ですので、貴重な会話をしながらの散策でした。

先ずは、香林坊交差点にこんな祠がありました。
いつもは、通り過ぎても気にもかけていませんでした。

【香林坊地蔵尊】
越前朝倉氏に仕えた向田兵衛は、天正八年(1580)、当地に移り町人となって薬種商を営む。
比叡山の僧であった縁者の香林坊を婿養子に迎え、店の名も香林坊とする。
ある夜、兵衛の夢枕に立った地蔵尊のお告げにより処方した目薬が、藩祖前田利家の目の病を治し、香林坊は大いに名を上げる。
この夢で見た地蔵尊を造り店の小屋根に安置し商売が繁盛する。
寛永の大火の時、地蔵尊辺りで不思議と火が止まった為、香林坊の火除け地蔵とも呼ばれるようになる


【瓶割り坂】  ~CLさんが作成した資料をそのまま記述すると~
源義経の一行が北陸を通って奥州に下った際に、この坂にさしかかった時に義経の妻が産気づいた。あわてて衣類を瓶の中から取りだそうとして瓶を割ってしまったという故事に由来する。


【蛤坂】
加賀藩前期に妙慶寺坂と言ったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いた様になったのでこの名が付いた。火災で坂が拡張され、蛤の口が「火で開く」と連想してついた洒落た坂名。火元は雨宝院。
この様な解説がされていますが、火事という不幸な出来事をネタに洒落というのも・・・現代ならワイドショーあたりで、ボコボコに叩かれそうな由来です。
江戸時代は大らかな良き時代だったのか、他人の痛みなどお構いなしの配慮のない社会だったのかどちらかだろうと思いました。


【甚兵衛坂】
料亭つば甚の南側から北東に曲がりながら下る階段坂。鍔屋甚兵衛にちなむ坂名。「サカジロー 金沢の坂」では、この坂を「つばや坂」と呼ぶ
寺町大通りから甚兵衛坂に至る道です。私も知りませんでしたが、こんな所に道が・・・


そして甚兵衛坂です
この世に生まれて50数年間、私はずーっと金沢市民なのですが初めて通りました



【石伐坂】
藩政時代から坂の上に石工の職人町があった。清立寺坂、吹く屋坂、くの字坂とも呼ばれ、現在はW坂と言う。ジグザグに南西に上る石段坂。Wと言うよりΣか。
旧四高生が付けた坂名という。
そういえば、四高を卒業した、井上靖さんについて書かれた解説板がありました。


そして名前は分かりませんがこの坂を下りました



急で足場がすり減っていて悪く、ちょっと危ない坂でした。


【長良坂】
旧長良町へ上がる坂なのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり、川風が吹き上げてくるので、吹上げとも呼ばれていた。以前は車の通行が出来たが、坂が急な為、現在は一部、車両の通行ができません。


寺町界隈の坂を歩いた後は、寺町大通りの老舗和菓子屋さんで、酒饅頭(坂饅頭?)を買いました。
金沢は散策しても素晴らしい街だと改めて感じました。
ランク「ゆっくり」の、この様な例会も素敵だなと思いました。計画をして頂きましたCLに感謝です。

※集合写真を会員ページに載せました
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